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| 処女詩集 「春と修羅」 |
これより以前、当社で長らく担当していた盛岡高等農林学校の校友会誌の印刷にあたって、同校の学生だった賢治が幾度も当社を訪れたとも言われていますが、定かではありません。後に東北採石工場技師時代の賢治がつくった商品案内チラシやその他のたくさんの印刷物も、遺言でつくった「国譯妙法蓮華経」1,000部も山口活版所で手掛けています。
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大正デモクラシーの高まりの中、大正13(1924)年4月、花巻の大正活版所が宮澤賢治の処女詩集『春と修羅』を印刷しました。大正活版所は山口活版の支店のような形で開業してすぐで、賢治は不足の活字をとりに花巻からしばしば盛岡・内丸の当社まで足を運びました。
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盛岡高等農林学校の校友会誌 |
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